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2015/12/29 クラフトビール革命

久々です。

タイトルの通りの本を読みました。

クラフトビール革命 地域を変えたアメリカの小さな地ビール起業 –

この本、クラフトビールでの起業を目指す私にとって、

ワクワク 8割

尻込み 2割

という感想。

アメリカのクラフトビールの発展の顛末(といってもまだまだ発展中の)を当事者が書くという点で、

日本のこれからのクラフトビールシーンを想像することができる良書。

ビールの小規模メーカーの創業者の心境がありありと書かれてる。

今日は引用がメイン。

マスコミではちやほやされるが、それが幻であることはわかっている。

財務的には厳しく、まだ黒字も出ていないのにさらなる投資が必要になる。

多くのベンチャー起業家たちにとっておなじみの苦しみ。

ベンチャー事業の初期段階では、成功しているように見せかけることが重要。

最後は利益が上がるはずという希望を抱きながら自信に満ちた外見を保ち続けなければならない。

起業家は生き残りをかけて四苦八苦していた創業時代の美談をしばしば持ち出す。

確かに創業期の成功へのモチベーションは信じられないほどパワフル。

それはあまりの苦しさから一刻も早く逃れたい一心で生じる力だ。現実は地獄なのだ。

どこで営業しようともスケールメリットが大事。

生産設備は、マーケティングや営業に必要なリソースを食いつぶしてしまう。

ビールビジネスに参入したいからと言って、必ずしも生産設備を持つ必要はない。

うちのビールが世界一だと自負するのは構わない。

しかし口頭であれ文章であれ、どんな方法だろうと他人が作ったビールの名誉を傷つけることは業界全体を傷つけるに等しい行為だ。

マイケル・ジャクソン

数千年にわたって老若男女を魅了し続ける、この安価で素晴らしい飲み物の複雑性。

実際ブルワリーというものは、いつどこで暴発するかわからない地雷原のようなもの。

醸造科学はその暴発を防ぐために存在している。

科学的教育を受けたブルワーがGスポットよりもトラブルスポット探しに慣れているのはそのせいだ。

彼らはエクスタシーよりも苦痛に詳しいのである。

2つの誤解。一つは評価の観点。ビールを評価すべきポイントは、欠点かそれとも長所か?

もう一点は表現の問題。自社のラボに内緒でせっかく作ったビールを捨ててしまうブルワーもいる。

おそらく自身のビール品質に対して恐ろしく厳しいのだろう。彼自身の評価基準を非常に重視している。

だから、どんなビールであってもこき下ろす気にはなれない。

素晴らしいビールを作ることは、称賛すべき人々による称賛に値する仕事であるということ。

もちろんそこには素晴らしい酒があるということ。

さらに、考え得る限り最高に完璧な何か、絶対の真実としてのビールづくりは可能だということ。

言い換えれば、ビールを通じてこの世において最良となる全てのものをもたらすことすらできるということ。

ギリギリのことを試す。はっきり禁止されていない行為は、たぶんやってもいい。

要するにあらかじめ許可を得るんじゃなく、あとで謝ればいいってこと。

小規模メーカーの創業者にとって共通していることは資産家ではないということ。

しかし、豊かな生活を日々エンジョイし、自身の業績にプライドを持っている。

ビール文化というこの国の根本に関わるものの改革に携われてラッキー。

人の日常生活にとって非常に大切なもののひとつであるビールにインパクトを与えられたなんて最高。

ブルーパブはキャッシュフローを生んでくれる。

自分のパブに競合が入り込んでくることはないし、コントロールもできる。

そしてやっぱりなんといってもパブは接客業。ブルーパブにもっと集中すべきだ。

ビジネスの安定している卸売業者が新規参入ブランドの売り込みという骨の折れる仕事などするはずがない。

つまり成功したければ自分のビールは自分で売るしかないのだ。

安価なビールへの揺り戻しが起きている。

その要因はクラフトビール業界にもある。それほど価値がなさそうなビールに高値をつけるブルワリーもあるからだ。そういうビールを買って痛い目に合う客もいる。

そういう客はもう二度と買おうとは思わない。

我々ブルワーには、それぞれ独自のアイデアと哲学がある。

作家が芸術家のカテゴリーに属するのだとすれば、我々も芸術家なのだ。

究極的には飲み手のグラスの中で生命を得て息づくために存在するビールのレシピも最初は散文のごとく紙の上に表現される。

それが真実だとすれば、ビールのレシピも紙に記された単なる言葉ではない。時間とともに昇華し、知的な議論すら促す液体の芸術。それがビールなのである。

このビールの品質に問題はありません。もちろん飲んで健康を害することはないですし、それなりにおいしいと思います。ただし、我が社の考えるレベルに達したビールではありません。ですから見守っていてほしいのです。次のビールはもっとおいしくなるはずです。

初回生産分を発売したビールに貼り付けたステッカーの説明文。ビールの品質に全てを捧げる。

ワンオフのビール。酸味の強いビールや、カベルネフランやシャルドネなどのワイン用ぶどう、レッドカラントと一緒に醸造したビール。オーク樽、ウィスキー樽、ラム酒樽で熟成したビール。乳酸菌やペジオコックス菌で発酵させたビール。

ワンオフビールのイノベーションは我が社の企業文化の大きな部分を占める。

ワンオフは飲み手とスタッフ両方が楽しめるから、モチベーションの大いなる源。

食の世界では古い伝統にひれ伏す必要はない。

既存の伝統的ビアスタイルではなく、食の世界で見つけたビールの材料としてポテンシャルを持つ素材をベースにして、普通でない人々のための普通でないエールを作る。

限界を目指して、可能性のある場所にさらなるニッチを創造する。

食やワインのカテゴリーの最高峰にも近づけるようなニッチ。

レイトビア。ワインから始まったトレンドがコーヒーにも波及し、次はビールの番であることは明らかだった。

マイクロブルワリーやパブブルワリー、ナノブルワリーがここまで台頭したのは、ソーシャルメディアの発展に依るところが大きい。

ただし、問題は140文字のメッセージで注目を集める能力と、実際の中身はまったく異なるということ。

消費者は目新しいもの、エキゾチックなものに飢えている。

そうした心理は、「ブランド」には不利に、「スタイル」には有利に働く。

BAAは、小規模ビール会社の利害を代弁し、彼らの声を州や連邦政府に届ける役割を果たしていた。

意見交換の場、政治・広報スキル育成の場として機能していた。

市場の問題を議論できる場ができたことでブルワーたちの連携を強め、情報を共有し、一致団結して問題の解決にあたれるようになった。

ビールの販売に関して、

1.新鮮なビールは売れる

2.流通ビジネスはボリュームが命

3.ボリュームは七難隠す

小規模のままでいる、というスタイル。

第三世代のブルワーにとって、素晴らしいビールを醸造する、コミュニティを作る、ビアサークルの人気者になる。

ブルーパブの多くはより規模の大きなプロダクションブルワリーに成長していくが、新世代の多くはブルーパブをやっているだけでハッピーなのである。

醸造所に入ると、香り、音、風景、醸造所を構成する全ての要素が揃った環境に身をおくことが出来る。

建物の奥の半分が醸造所で、手前がテイスティングルーム。

客はどこに座りたがるか?醸造所に一番近い席だ。

醸造所からの香りや風景を楽しみながらビールを飲みたくなるんだ。

ナノブルワリーはサスティナブルではない。

ナノブルワリーとしてスタートするなら、それがゴール地点ではないことに気づかなければだめだ。

小規模な状態を維持するのは難しい。単純な話、ナノブルワリーは儲からない。

少量、多種。ブルワーにとってナノブルワリーが面白い理由の一つだ。

クラフトブルワリーは、数多くの新しい生産戦略とビジネスモデルを生み出してきた。

全ての規模において気の利いた成功モデルが登場してくる。優れたものはいずれ自ずと浮上してくる。

ただ一つだけ確かなことは、質の高いビールを作り続けなくてはならないということ。

今ではどのコミュニティにも複数のブルワリーがあるから、質の高いビールを作り続けないと難しい。

クラフト風ビールに低めの小売価格を設定することで大手が革命を横取りしていく可能性がある。

しかし、革命は広く深く浸透している。

生産者の顔の見える食材や多種類で新しい商品を求める消費と社会のトレンドの一部になっているし、音楽やテクノロジーの分野とも結びついて進化している。

大手対小規模、クラフトブルワー同士の衝突。ビール戦争は最終的に敵と味方の双方に利益をもたらす。

ある種のプロレス。観客を楽しませる興行である。

日本のビール業界全体の市場規模は約二兆円と言われており、そのうちのクラフトビールのシェアは1%。

まだまだ日本版クラフトビール革命には伸び代がある。

とここまで引用。

アメリカにはそもそもヨーロッパからの移民が築き上げたクラフトビール文化が禁酒法時代以前にあった。

今のクラフトビールのパイオニアたちはその頃のブルワリーを買い取ったり、修繕したり、昔からあったブルワリーに委託醸造することで成長した。

日本もやっとこの段階まで来てるのかなって気はする。

そもそも地ビール解禁からまだ20年しか経ってないことを考えると、市場の移り変わり自体が目まぐるしい。

ここから、日本がアメリカのように爆発的にブルワリーが急増するかというと、ホームブルーイングが非合法なだけにそこまでじゃないと思う。

ただ、だからこそ入り口がブリューパブである必然があるんじゃないかと。

アメリカのブルワーの多くも、初めはホームブルワー。まずはビールの醸造に魅力に取り憑かれるところから。

日本の環境だと、そもそもビール醸造を経験する事自体のハードルが(合法的にいえば)高いわけで、ブリューパブにはそのフラストレーションを埋める機能があると思う。

あとは、ナノブルワリーはとにかく儲からないこと。

これはちょっと計算すればわかりきったことで、小規模である以上、ブルワリー以外での収益の柱が必要ということ。

だからこそ小規模ブルワリーは飲食店を併せて経営しなきゃいけない。

売上のボリュームで言えば、飲食店のほうが上。そこできっちりビールを供給しつつ、プロダクトとしてのビールを作るしかない。

日本のこれからのビール業界についての危惧。

アメリカのベンチャースピリッツありきのクラフトブルワリーと、

日本の第三セクターありきのクラフトブルワリーとの違い。

起業家精神の不足。

大手が参入してきたことで、ここからのクラフトブルワリーは、アメリカでもあったような「ビール戦争」が必要だと感じた。

例えば、「クラフトビール」というプロダクトの定義について、日本には数字を明記した定義はない。

大手がクラフトというキーワードを使い始めて市場の奪い合いに参入する。

あとは税制。大手や政府を相手に戦うしかないけど、それができる業界団体はない。

日本のブルワリーはまだまだ村意識のある仲間で、お互いに助けあってるけど、競い合ってる感じではない。

というわけで、

ブリューパブのマーケットを作ること。ブリューパブの業界団体を立ち上げてクラフトビール業界に影響すること。

ブリューパブが日本のクラフトビールシーンをもっと活性化すると確信しています。

技術的な発展や、人的な雇用の創出も大きなインパクトがあるはず。

このブログのテーマもようやく意味があるものになるかな。

来年も、来年こそ皆様どうぞ宜しくお願い致します。